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ラカン派の特徴とは?

精神分析について調べていると、
ユングやフロイトと並んで必ずといって言いほど名前を目にする「ラカン」

ラカンが唱えた心理学の理論にはどのような特徴があるのでしょうか?

 

筆者の個人的な印象としては、
ラカンの心理学はかなり理屈っぽく(笑)、難解。

しかし、じっくり考えてみると、「なるほどな〜」と
納得させられる内容なんですよね。

 

例えば、
「主体というものは、自己自身について語りつつ、

知らず知らずのうちに他者となり、“他者の欲望”をもって自己に近づく」
…というような内容の説を解いています。

確かに、人は、主体的でありつつも
客観的に自分を見ているところがありますよね。

「自己を疎外している」ような感覚、みなさんは感じることってありませんか?

 

人間なんて、生まれてから死ぬまで“不完全”なもの。
最初は他者(母)の存在がなければ生きることさえままならない状態ですし、

社会人になってからも、他者という“鏡”を意識しなければ
自分がどういう人間なのか知ることはできません。

 

“自分”とか“世界”を正しく認識するって、
実はものすごく難しいことなんですよね。

…というより、100%正しく認識するというのはあり得ないことなんでしょう。

 

ラカンの代表的な理論といえば「鏡面段階論」ですが、
これも、“自分”と“世界”の認識について説いた内容。

ざっくりと言うと、「他者との関係が人間主体の本質である」
ということを説いた理論です。

鏡面段階論とは?

ユング派との比較でよく名前が挙がるラカン。
代表的な理論として、前述した「鏡像段階論」があります。

 

その名の通り、
「“鏡”に映った“像”としての自分をどう捉えるか?」

人間形成においてどのような影響をもたらすかを説いたもの。
ラカンのいう「鏡像段階」とは生後6ヵ月〜18ヶ月の時期のことで、

この時期に人は自分の身体の“統一性”を獲得するのだとか。
…って、ちょっと難しいですよね(笑)。

 

簡単に言うと、鏡に映っている“像”としての自分が
紛れもなく“自分”であると「同一化」するということです。

それまでは、母親を通じてしか
“自分”や“他者”を意識することができません。

鏡に映った自分を“視覚的に”知覚することによって、初めて、
自分を自分として引き受けていく…。

ざっくりと言えば、そんな内容です。

 

確かに、生後間もない赤ちゃんに鏡を見せても、
「そこに映っているのが自分自身である」

という実感はなさそうです(笑)。

 

この理論は、ラカンの古い業績の一つで、
1936年のマリエンバードの精神分析会で発表されています。

ユングとラカンの比較

ラカンとユングは、「比べると分かりやすい」ということで
よく、二人揃って名前を挙げられる心理学者です。

 

たとえ話でよく言われるのが、
「フロイトやラカンは量子物理学的で、ユングは機能高分子学的」

…という表現。
どういうことかと言うと、ユングの説いた理論は

同じ心理学でも日常生活になじみやすく、一般人も理解しやすいということです。
頭で考えるよりも、感覚的にスッと入ってきやすいんですよね。

 

一方、フロイトやラカンの心理学理論は、非常に理屈っぽいところがあります。
「人のココロはどういうメカニズムになっているのか」

…普通は「そんなの理屈じゃないデショ?」と思うようなポイントを、
力学的につきつめて考えていくので、

理系の人にはなじみやすいかもしれませんね。

 

もっとも、心理学の場合は「どちらが正しいか」という議論ではなく
臨床場面での“治療”(カウンセリング)として、

どちらを利用できるかが問題になるのですが。
一般的には、日常生活に近い分、

ユングの考え方のほうがなじみやすく、使いやすいようですね。

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