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石の塔に何を求めたのか

ユングといえば、自らの手で「石の塔」を建築し、
そこをまるで別荘のように使っていたというエピソードが有名ですよね。

ユングにとってその石の塔は、
一種の「避難場所」だったのではないかという説もあります。

 

当時のユングは、母を亡くした悲しみにさいなまれつつも、
臨床と研究に追われ、自身の中の悲しみに

しっかりと向き合えない日々を送っていたようです。

 

そんな中でユングは、自分が「より真の自己」になるための場所、
1人になれる場所を求め始めます。

そしてやがて、「それは自ら作るべきもの」と考えるに至り、
塔の建築に着手したのです。

 

のちに彼は、

 

「人間の原始的な感情に対応するような住処であり、
物理的な意味でだけでなく、心理的な意味でも

庇護されているような感じがするものでなければならなかった」

 

…と語っています。

 

ユングは思い描く理想の土地(水辺の土地)を探し回り、
1922年にようやく、

チューリッヒ湖に面したボーリンゲンの土地を手に入れました。

 

当時、ユングはすでに50歳間近。
もう、“初老”ですよね(苦笑)

やや老いが始まりかけている心身にムチ打って、
作業着姿でハンマーを握って家を建てる…って、

なかなかできることじゃありません!

 

地元の労働者二人が手伝ってくれたということですが、そこには、
自分の理想を自分で実現するというユングの強い意志が見て取れます。

石の塔=母性原理の象徴?

「最初から塔は私にとって成熟の場所となった。
子宮、あるいは、その中で私が再び、ありのままの現在、過去、

未来の自分になれる母の姿だったのである」

 

…と、のちにユング自身が語っている通り、
この石の塔はある意味では“母性”の象徴だったようです。

 

自分を産んでくれた母、つまりは
自分自身の“原点”ともいえる場所に帰りたかったわけです。

 

それは、世の中のあらゆることから隔絶した場所。
水道も電気もなく、あるのはただ、ありのままの自然と裸の自分。

…そういう状態を求めていたんでしょうね。

 

実際、ユング本人も、当時を振り返って
「ボーリンゲンでは私は、ありのままの、本来の自分に返っている」

…と語っています。

 

ボーリンゲンでの“素のまま”の生活で、
彼の心は母の死を乗り越え、少しずついやされていったようです。

自然との一体感を味わう日々

心底悲しみに暮れている時って、あまり人に会いたくないな〜
という気持ちになったりしませんか?

人と話さずに静かにしていたいな、とか、
ボーっと海でも眺めていたいな、とか。

 

それはユングも同じこと。
どんなに著名な心理学者であっても、人間ですから(笑)。

 

「今私は、この土地の自然と諸々の事物の中に伸び広がっているようで、
自分自身、一本一本の木、波がピチャピチャ立てる音、雲、

やって来ては去ってゆく動物、いろいろな物の中で生きています」

 

…ユング自身がこのように語っているように、
ボーリンゲンの石の塔での生活は、

彼の心身を解放してくれたようです。

 

塔の塔を建設すること、そしてその作業に没頭するは、
ユングの無意識に潜む創造性を表出させる目的があったのだと

指摘する学者もいます。

 

「ユングは石の塔の中で瞑想していた」とか、
「石の塔でUFOと交信していた」とか、

オカルトチックな話を面白おかしく語る人もいますが、
ユングはただ、石の塔の中で

静かに自分と向き合いたかっただけなのではないでしょうか。
彼もまた、1人の女から生まれた、1人の子どもだったのですから…。

 

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