“弁証法的”ってどんなカウンセリング!?
ユングのカウンセリングといえば、「弁証法的プロセス」が特徴的。
「弁証法」…なにやら小難しい響きですが…
一体、どんなカウンセリングのことを言うのでしょうか。
ユング派のカウンセリングにおける弁証法とは、ごく簡単に言うと
「治療者と患者の反応を積み重ねることによって、
新しい発見があったり、真実に近づいたり…と、
お互いを高め合ったり深め合ったりしていく過程」
単に患者が治癒するというだけではなく、
治療者もまた成長していくという相互作用が特徴的なんです。
考えてみれば、これは当然のことですよね。
「心」という曖昧なものを対象として対話するわけですから、
治療者だって何らかの影響を受けるハズです。
誰かと誰かが向き合って話をしていて、
相手に対して全く何も感じないというのはあり得ないことでしょう。
好き、嫌い、楽しい、不快、面白い、つまらない…
なにか感じるハズですよね?
ユング派のカウンセリングでは、
この「相互作用」を非常に大切にしていたのです。
いくらカウンセラーといえども、「心」をもった1人の人間ですから、
相談者の言葉に反応してしまうことは十分にあり得ますから。
また、その反応に対して相談者がどう感じ、どうアクションするのか。
この過程を無視したり押し込んだりせず、
治療にとって欠かせない要素として
うまく利用していかなければならないわけですね。
ちなみに、弁証法とは…
ところで、もともと「弁証法」とは哲学の分野で使われる言葉。
哲学って、ちょっと興味はあるけどなんだか敷居が高くて…
という方も多いことでしょう。
哲学における弁証法とは、簡単に言うと、
ある一つの定義に対して議論を重ねることでより高次元の結論を出す
という方法論のこと。
…と言っても、「???」ですよね(笑)。
例えば…
@「Aさんはただの人である」という定義があります。(テーゼ)
A@に対して、「Aさんはただの人ではない」という反対意見が出てきます。
(アンチテーゼ)
B@とAを総合すると、
「Aさんは、ただの人であるが、ただの人ではない」(ジンテーゼ)
つまり、ただの1人の人間であり、かけがえのない個性を持った
唯一の1人であるという解釈ができるようになるわけです。
(アウフヘーベン)
ただし、「弁証法」と一言でいっても、
アリストテレスやヘーゲル、キルケゴール…と、
色んな哲学者が色んな事を言っています(笑)。
興味がある方は、ぜひ図書館で借りてみてください。
(買っても、途中で挫折する可能性が高い気がしますので 笑)
「対話」を重視したユング
哲学的な「弁証法」とはちょっと違いますが、ユングもまた、
カウンセリングの中では弁証法的なニュアンスを大切にしていました。
つまり、ある心の問題に対するやりとりを重ねていくなかで、
新しいテーゼを生みだし、「アウフヘーベン」につなげていくのです。
そのためには、なによりも「対話」が欠かせません。
ただし、どちらかが一方的に主張したり、上から目線だったり、
単に情報だけをだらだらと並べていたり…といった対話では、
新しい発見は生まれないでしょう。
それは、単なる言葉のキャッチボールであって、
ユングの言う「対話」とはかけ離れたものです。
ユングが心理療法において重視した「対話」とは、
お互いの反応を積み重ねることによって成立するもの。
単に形式的に言葉だけを投げ合っているのではなく、
お互いの心がかみ合っていなければなりません。
自分は今、どう感じ、どう反応しているのか。
また、相手はどう感じ、どう反応しているのか。
それをよく見極めること。
それが、真の意味での「対話する」ということなのです。