偶然とは思えない出来事
「単なる偶然」で片づけてしまうには、
あまりにもタイミングが良すぎる出来事ってありますよね。
例えば、誰かと一緒にAさんの話をしている時。
「あいつ、今頃どうしているのかなあ」という話だったらまだしも、
悪口なんかを言っていたところ、
その数分後に、Aさんが同じ店に来てしまった!!
…なんて経験はありませんか?
メールや電話で読んだからAさんが来た、
というのであれば分かりますが、
こちらからAさんに連絡をしたわけではないのに
たまたま本人が現れたという状況は、
因果関係は100%説明できないでしょう。
これが、ユングの言う「共時性」(シンクロニシティ)。
原因と結果のつながりを説明することが難しく、
しかし、単なる偶然と考えるにはあまりにも確率が低い出来事を指して、
「シンクロニシティ」と表現していたのです。
このような出来事は、私たちの日常生活ではよくあること。
あまり気に留めずに流していますが、
実はそこには深い意味があるのだとユングは言います。
「布置」とは?
人生の中では、本当に、「神様のイタズラ」としか思えないような
不思議な「巡り合わせ」が度々起こりますよね。
新しくできた彼女と初デートしている時、たまたま元カノが通りがかったり、
今まさに会話に登場していた芸能人がテレビでも同じタイミングで現れたり、
金欠の時に限って大金が必要な出来事が発生したり…。
筆者の友達でも、
「母親からもらった金のネックレスを買い取りセンターに売ったら、
その翌日に母親が倒れた」
…と後悔している人がいます。
彼女がネックレスを売ったこととお母様が倒れたこととの間には
物理的な因果関係はないにも関わらず、
人はそこに「つながり」を感じてしまうんですよね…。
このような出来事は、「これが原因でその出来事が起こった」と
原因と結果の因果関係を説明しづらいところがあります。
無理に結び付けようとすると、
ちょっと「こじつけ」のようになってしまいがちですので…。
一見、全く別々に起こったように見える出来事でも、
当事者にとっては大きな意味でつながっているように思える「巡り合わせ」。
ユングはこのような出来事を「布置」と呼んでいました。
その「布置」から発展した概念が「シンクロニシティ」だったのです。
偶然と「元型」の意外な関係
単なる偶然を超えた不思議な現象を
「シンクロニシティ」と名付けたユングですが、
実はユング本人も非常に印象深い「シンクロニシティ」体験をしています。
それは、ある女性の心理療法を行っていた場面でのこと。
彼女が「黄金のコガネムシ(スカラベ)が現れる夢を観た」
という話をしていた最中、
2人がいた部屋の窓にコガネムシがぶつかってきたのだとか。
しかもその部屋は薄暗く、本来であれば
走光性のあるコガネムシがぶつかってくるとは
考えづらい状況だったのだといいます。
その女性は、頭のカタい合理主義者で、
何事も現実的にしか捉えることができない人だったそうですが、
この不思議な出来事をきっかけに、
今まで頑なにしがみついていた現実感から
自分を解放することができたのだとか。
皮肉なことに、彼女が変化するきっかけを与えたのは、
合理的には考えられない“不合理な”共時性の出来事だったのです。
ユングは、このような出来事には「元型」の力が働いていると考えました。
元型とは、人類の心の深い部分に共通して存在する、
普遍的なイメージパターン。
太陽を崇拝したり、
ふくよかな女性に「母親」のイメージを重ねたりするのは、
私たちの中に古代から脈々と受け継がれてきた「元型」があるからです。
私たちが「思うこと」「感じること」は全て、
この「元型」なくしては語れない。
自分自身とも他人とも理解し合えないというのがユングの考え方です。
…といっても、ちょっと分かりづらいですよね。
ざっくりと言えば、
「深い部分では人や動物、植物もみんなつながっている」
ということです。
だから、呼ばれたわけでもないのに話題に上がった人が来てしまったり、
大事なネックレスを娘に売られてしまったことで母親が倒れてしまったり、
絶妙なタイミングでコガネムシが飛んできたりするというわけです。