「対話」を重視することの意味
誰かと話している時、
「なんとなくかみ合わないな」
…という違和感を覚えることってありませんか?
反対に、楽しくって話題が尽きなくなることもありますよね。
それは、一体、何の違いによるものなのでしょうか。
もちろん、両者の性別の違いや立場の違い、
その時の状況にも左右されるでしょう。
しかし、「心の在り方」も大きな要因の一つ。
どちらかが一方的に主張したり、上から目線だったり、
単に情報だけをだらだらと並べていたり…。
心と心が向き合っていなければ、お互いにそこから喜びを見出すことも、
新しい発見が生まれることもないでしょう。
それは、単なる言葉のキャッチボールであって、
ユングの言う「対話」とはかけ離れたものです。
ユングが心理療法において重視した「対話」とは、
お互いの反応を積み重ねることによって成立するもの。
単に形式的に言葉だけを投げ合っているのではなく、
お互いの心がかみ合っていなければなりません。
これは、対「人」のみならず、
自分自身の内面と向き合う際にも言えることです。
ユングは、人との対話以前に、自分の内面との対話も重要視していました。
自分自身に何かを問うた時、
それに対する自分自身の心の変化を見逃さないこと。
自分は今、どう感じ、どう反応しているのかをよく見極めること。
それが、「自分と対話する」ということなのです。
弁証法的手続き
ユング派のカウンセリングの特徴として、「弁証法的プロセス」があります。
「弁証法」…なにやら難しい響きですよね(笑)。
一般的には、弁証法といえば哲学者・ヘーゲルが有名ですね。
しかし、ユング心理学における「弁証法」はちょっと意味合いが違っています。
カウンセリングにおける弁証法とは、ごく簡単に言うと
「治療者と患者の反応を積み重ねることによって、
新しい発見があったり、真実に近づいたり…と、
お互いを高め合ったり深め合ったりしていく過程」
対話を通じて、患者が治癒するというだけではなく
治療者もまた成長していくという相互作用が特徴的なんです。
「治療者が患者を治療する」という一方的な捉え方に
クエスチョンを投げかけたユングらしい考え方ですよね。
確かに、「心」という曖昧なものを対象として対話するわけですから、
治療者だって相手から何らかの影響を受けるハズですよね。
ユングは、この「相互作用」を非常に重要視していたのです。
自分の中の「両面性」を受け入れるプロセス
誰にでも、相反する2つの面があると思います。
例として、人から「明るい人」「いつも元気な人」と言われている
Aさんを考えてみましょう。
日差しが強ければ強いほど影が濃くなるように、
Aさんもまた暗い影の部分を持っているのかもしれません。
例えば、子供の頃はおとなしくていじめられていた。
親からも、
「もっとハッキリ話しなさい」「ウジウジしないの!」
…なんて怒られたりして…。
そんな過去があるからこそ、
「明るく振る舞わなければ」「暗くしていたら嫌われる」
という思いから、人前では必要以上に明るく振る舞っているのかもしれません。
劣等感をカバーするための「明るさ」や「元気」は、
自分で思っている以上に心に負担をかけています。
だって、それは本当の「その人らしさ」ではないから。
暗さや弱さもひっくるめて「Aさん」なのですから、
それを否定しているうちは本当の意味で幸せにはなれません。
全てを受け入れて、肯定してあげること。
そのために必要なのが、ユングの言う「対話」なのです。
自分自身、そして、
今向かい合っている誰かと心を通わせて「対話」すること。
それは、相反する両面性を受け入れて心のバランスをとる意味で、
非常に重要なプロセスになると言えます。