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ユングの父親は牧師だった

ユングの成育歴について調べてみると、彼の人生は幼い頃から
キリスト教の影響を強く受けていたことが伺えます。

 

まず、ユングの父親は牧師でした。
彼自身が語っているように、子どもの頃から

「様々な宗教上の疑問に答えてくれた」ようです。

 

しかし、ユングが抱いていたキリストへの恐れや疑問について、
本当に満足のいく回答は得られなかったのだとか。

 

例えば、ユングはキリスト教に対して、

 

「神がいるのなら、
なぜこの世にはこれほど恐ろしいことや悲惨なことが満ちているのか」

 

…という不信感を抱いていたようですし、

 

「葡萄酒をイエスの血として飲み、
パンをイエスの身体として食する儀式は

全く意味が分からない」

 

…と感じていたようです。しかし、彼の父親は、
この不信感に対する納得のいく回答を授けてはくれなかったのです。

 

ユングのキリスト教に関する様々な疑問や不審感は、
やがて父親に対する不満、そして失望、

哀れみへとつながっていきました。

グノーシスってなに?

父親が牧師であったということで、ユングは、
いわゆる“正統派”なキリスト教に

子どもの頃から慣れ親しんでいたと言えます。
しかし、最終的に彼は、「グノーシス」という、

キリスト教の中では“異端”な思想にのめりこんでいきます。

 

グノーシス主義を分かりやすく解説すると…。

 

「人間をまどわせる邪悪な世界から、
人間の内にある魂を解放しなければならない」

 

…という考え方に基づく思想。
正統派のキリスト教を攻撃した、いわば“秘教的”な思想です。

キリスト教の一種ではあるものの、王道のキリスト教ではない
…といったところでしょうか。

 

「最高神の精霊であるキリストは、
人間イエスの肉体に宿っていたものの、

十字架の磔の刑では死なずに神の国に帰っていった」

 

という解釈がベースになっており、
キリストの受難や死、肉体の復活を否定しています。

 

聖書の正典には含まれていない、
『トマスの福音書』『マリアの福音書』

などを作ったことでも知られていますね。

 

ユングは幼少の頃から様々な超常現象、妄想、
幻覚を体験していたと言われています。

また、いわゆる二重人格の症状もあったようですから、
グノーシスのような“神秘主義”的要素がある思想に惹かれたことは

容易に想像がつきますね。

 

キリスト教に対するユングの視点

キリスト教に対してユングがどのような捉え方をしていたか、
その成り立ちと変遷についてどのような分析をしていたか

…書著を紐解いて見るとわかりますが、その理論はかなり難解です。
ハッキリ言って、キリスト教そものの成り立ちを勉強しない限り、

ユングの言わんとすることを100%理解するのは難しいでしょう。

 

かなりざっくりとした言い方をしてしまうと、ユングは、
「神」、「神的なもの」=「人間の心(主に無意識)のあらわれ」

…と考えていたようです。

 

上述した通り、ユングの解釈は、幼少の頃から親しんできた
“正統派”キリスト教の解釈とはハッキリとした違いがあります。

正統派による解釈では、
「イエスの十字架による死=人間の罪を背負って、その罪を贖うもの」

 

これに対してユングの解釈は
「イエスの十字架による死=神の側の不正に対する償い」

 

ユング的な目線に立って見ると、
イエスが十字架上で味わった苦しみは、それまで神が人間に与えてきた

理不尽な苦しみを自らも味わうためのもの。

 

イエスがその苦しみを体験することによって
神と人間との間に“和解”が成り立つ…と解釈できます。

(ちょっと乱暴な解釈かもしれませんが)
ユングによれば、それはある意味で

「無意識の意識化」のプロセスだと捉えることができるのです。

 

自分の無意識を意識することは、
自分の中の未発達な部分に気づくことでもあります。

つまり、自分を成熟させる可能性を秘めているプロセス
と言えるでしょう。

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