宮崎駿ワールドとユング心理学
まさに、老若男女、幅広い世代に支持されている宮崎駿監督の映画。
「子ども向けのアニメ」として楽しめる作品には違いはないものの、
オトナが見ても考えさせられる秀逸な内容の作品ばかりですよね。
だいたいは、主人公がなんらかの冒険を通じて
成長していくスト―リーですが、
そこには心理学的な要素がふんだんに散りばめられており、
心理学関係者にとっては格好の研究対象(笑)!
単なる「子ども向けのファンタジー映画」
と分類してしまうのはもったいないくらい、
深い洞察を加えることのできる映画なのです◎
特に、『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』は、
ユング心理学における「元型論」と照らし合わせながら見ると面白い!
登場するキャラクターや、エピソードに込められている“意味”を
あれこれ考えながら楽しんでみる…というのも、
宮崎駿作品の味わい方の一つではないでしょうか。
「元型理論」と『千と千尋の神隠し』
宮崎駿監督の代表作とも言える、『千と千尋の神隠し』。
ベルリン国際映画祭で、グランプリにあたる
「金熊賞」を受賞したということもあり、
宮崎駿作品の中でも特にファンが多い作品ですよね。
この物語、ユングのいうところの「元型」や「無意識」の
エッセンスが非常に豊富に散りばめられているんです。
ここでは、その例の一部に解説を加えてご紹介しましょう。
★ブタに変えられてしまった両親
ガツガツと食べ物をむさぼるブタの様子は、
「欲望に取りつかれている」ことの象徴。
俗っぽさの表れと考えられます。
★名前を奪われる
名前を奪われるということは、
アイデンティティーが揺らぐことを象徴しています。
アイデンティティー=自己同一性。
分かりやすく言うと、「自分が自分である」という感覚ですね。
★魔女の湯婆婆
湯屋の天井階を支配する魔女の湯婆婆。
これは、ユングの言うところの
太母=グレート・マザーのイメージそのもの!
★坊
巨大な赤ん坊、「坊」は、見たままの過保護の赤ん坊。
母親離れできていない、永遠の少年も意味しているのでしょうか?
★釜爺
釜爺は、蜘蛛のような魔法の手もつ老人。
これは、ユングの言うところの老賢者=オールドワイズマンですね。
知恵やアイデアを授けてくれる存在です。
★カオナシ
千尋が湯屋に向かう橋の上で出会った、顔のない不思議な男。
飲み込んだ相手の声を借りてしか人と話ができない
というキャラクターです。
心理学を研究している方々の分析を参考にすると、
このカオナシは、ユング心理学でいうところの“影=シャドー”。
「受け入れたくない自分の一面」を表しています。
★「自分の名前を大切にね」
銭婆が千尋にかけた言葉です。
名前=アイデンティティーですから、つまりは
「自分らしさを大切にね」
ということを言いたかったのではないでしょうか。
★1人で立てるようになった坊
言うまでもなく、「自立」「心の成長」を象徴するエピソードです。
★ハク
千尋がかつておぼれて命をおとしかけた時、助けてくれた白竜。
これは、ユング心理学の「アニムス」=女性の無意識内にある
男性的特性として捉えられます。
…他にも、「なるほどな〜」と思わず唸ってしまうような
秀逸な心理学的解釈を加えている方もいます。
(ネットで検索すると、様々な捉え方や解釈の仕方がヒットします)
みなさんも、今一度映画を鑑賞して、今度は“ユング的”視点で
宮崎駿ワールドを楽しんでみてはいかがでしょうか♪
『崖の上のポニョ』をユング心理学的に解釈すると?
ちなみに、『崖の上のポニョ』についても、
ユング心理学的な観点から解釈すると
なかなか面白い発見があります(笑)。
例えば…
(以下は、2chの過去ログに上がっていた意見を参考にしました)
★宗介
宮崎駿監督自身
★ポニョ
アニマ。宗介=監督自身の“内なる女性性”の象徴。
★フジモト
老賢者=オールドワイズマン。
生きる上での知恵を授けてくれる、父権的な存在。
★海の女神 グランマンマーレ
太母=グレートマザー。名前そのままのイメージですよね(笑)
ありのままを受け入れてくれる、母権的、受容的存在。
…ここで挙げた解釈は、あくまでも一例。
見る人によって感じ方は違うでしょうし、
だからこそ、映画も心理学も面白いのです!
答えがないことが、芸術や心理学の面白いところ。
そういう意味でも、ユングの「創造の病」などは言い得て妙ですね。